清貧
モチベーションアップの法則

清貧に潜むウソ
〜軽やさと息苦しさ

清貧(せいひん)」という言葉があります。多くの日本人が大切にしている価値観の一つと言っても良いかもしれません。

その意味は「無理に富を求めず、正しい行いをして貧しい生活に甘んじていること」とあります。

シンプルな暮らしを望んでいる人にとってもは、比較的馴染みやすい価値観とも言えるでしょう。

ただし、この言葉は時に「嘘」をはらむので気をつけないといけないと思っています。

欲に溺れ悪いことをするのを戒めるための言葉として使われていたり、個人的な信条として使われているうちは良いのですが、時に「貧しいことこそ清いことだ」という間違った教訓めいたものに変わってしまうことがあるのです。

そうなると、「お金持ちになりたいなんて欲深い人間だ」「お金のことを口にすること自体卑しい」「我慢や忍耐こそ美徳だ」などといった考え方に支配されるようになってしまいます。
そして、「清貧」という価値観こそ正しいのだと他人を非難したりそれを押し付けたり、といった行動をとる人も中にはいるように感じます。

そこにはどこか抑圧された息苦しさがあります。

正しい清貧

本来、清貧というのは軽やかでサラリとしたものであるはずです。しかし、それが「欲望は捨てるべき」といった根性論に変わってしまうと、急に息苦しい思想になってしまいます。

「お金持ちになりたい!」「いい服着ていい車に乗っていいモノが食べたい!」と思ったなら、その気持ちを清貧の思想で無理やり抑圧する必要なんてありません。

清貧はそうしたいからするのであって、それが道徳や正義だとして押し付けるものではないのです。

抑圧された欲望は、自由に生きる人への「ひがみ根性」としてその後どこかで噴出してしまうでしょう。

お馴染みのストーリー

テレビではよく「貧乏だけど心は豊か」という人物が主人公の番組が放送されます。 それが視聴者の共感を呼ぶからでしょう。

また、ほとんどのドラマは、一般庶民は善人、金持ちや権力者は悪人という設定でストーリーが作られています。 そして、最後は善人が逆転勝利を収めるのがお決まりのパターンです。
それを見て我々視聴者は気分がスカッとするわけです。

もちろん、テレビというのは一般大衆向けの娯楽ですからそうなるのは当然です。
でも、子供の頃からそういうストーリーばかりに親しんでいると、知らず知らずのうちに「貧しい人こそ善人、金持ちは悪人」という間違った価値観が刷り込まれてしまいます。

貧しいこと自体が清く正しい姿であるかのような錯覚を私たちに抱かせるのです。

清いと貧しいの因果関係

「清貧」とは、人間を「清いー汚い」と「貧乏ー金持ち」の二軸で考え、「貧乏=清い」ひるがえって「金持ち=汚い」という二元論にしてしまう恐れのある言葉です。

本当は、これらの間にはなんの因果関係もなく、「貧乏で汚い」「金持ちで清い」という人だってたくさんいます。
むしろ、長期的に見れば「汚い」人がお金持ちであり続けることは稀です。

しかし、私たち日本人の多くは、この清貧の思想やテレビの影響などによって、「貧しくとも心豊かに生きる」か「魂を売ってお金持ちになるか」の二つに一つだと思い込んでいるフシがあります。

清く正しい行いをしてお金持ちになるなんて、そんな都合の良いことは不可能だと勝手に思い込んでいるのです。

まとめ

清貧とは、質素で清らかな生活スタイルのことを指します。ただし、そこに正しさや道徳が入り込むと息苦しいものに変わってしまいます。

また、私たちは貧しいことこそ清く正しい姿だという間違った価値観がどこかに刷り込まれています。

清貧とは本来、軽やかでサラリとしたものですが、そこに何か息苦しさを感じたなら、この辺りのことが引っかかっているのかもしれません。

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