雨ニモマケズ

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだを持ち

欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きしわかり
そして忘れず

野原の松の林の蔭の
小さなかやぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにデクノボーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず

そういうものに
わたしはなりたい


(画像引用)コトバンク

宮沢賢治(詩人・童話作家)[1896~1933]
岩手県花巻市出身。盛岡高等農林農学科に在学中に法華経を読んで感動。熱心に信仰し宗教的な生き方に身を捧げようとした。宮沢賢治の文学の根底にはこの法華経の教えがある。教諭をしながら詩や童話を書いたが、生前は数冊の自費出版があるのみでほとんど無名。最愛の妹の死、農民の生活向上を目指した活動の失敗などを経て、過労で肺結核が悪化。膨大な未発表原稿を残したまま37歳で病死。死後発表された「銀河鉄道の夜」などの作品によって、日本を代表する国民作家の一人となった。


この「雨ニモマケズ」は、賢治の死後に偶然発見されたものです。
亡くなる二年前の闘病中に賢治が手帳に書きつけたものだそうです。

最愛の妹を失い、理想に敗れ、作品も評価されず体も壊してしまった中で、ひっそりとこの詩を自分の手帳に記していたのです(そう思うとさらに沁みますね〜)。

この詩の中で賢治が「そういうものに私はなりない」と願った、健気でつつましい在り様は時代を超えて我々日本人の心に深く響きます。

困難に挫けそうになった時、思い出すことで力をもらえる詩です。

下記に原文を掲載します。
(※原文の最後にはお経も書かれていたようです。)


「雨ニモマケズ」原文

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如來
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩


カテゴリ 心に響く名言
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