スミレはただスミレのように咲けばよい
天才数学者が残した言葉

「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。

私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているだけである。」 

これは天才数学者と言われた岡潔(おかきよし)の言葉です。

この言葉をどこかで紹介したいとずっと考えていました。
それは、この言葉によってもっと楽に生きられるようになる人がきっとたくさんいるのではないかと思っていたからです。

きっとこの言葉は意味を求めて悩み苦しんでいる人に一つのヒントを与えてくれることでしょう。

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目次

意味を求めるのは人間の悪い癖

私たちは時に不毛と思えるような「問い」を持ってしまいます。 

「これに一体どんな意味があるんだろうか?」
「私の人生とは一体何なんだろうか?」
「世のため人のために私は一体何をすべきなんだろうか?」 

こうした、簡単には答えの出ない問いに取り憑かれてしまうことがあります。
そうして長い間、思い悩んでしまうことがあるのです。

そんな時には、先ほど紹介した言葉を思い出してみてください。

「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た」 

これは、自分という存在を外側から規定しようとするのではなく、内側から規定しようとするアプローチと言っても良いかもしれません。 

「春の野にとって必要な花とはどんな花なんだろうか?」
「春の野にスミレが咲くことにどんな意味があるんだろうか?」

……ではなく、「私はただスミレとしてココで精一杯咲けば良いのだ。ただそれだけだ。」という感じ。

何にでも意味を求めるのは人間の悪い癖だ、という人もいます。

「人はありとあらゆるものに意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ」と、ピカソも言っていました。

意味を求めること自体が悪いわけではありません。それが必要な場面と、不要な場面があるということです

岡潔(おかきよし)とは?

だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、岡潔(おかきよし)について簡単に紹介します。

※使える写真が無かったので書籍の写真で雰囲気だけでも

岡潔(おか・きよし、1901~78年)は日本の天才数学者。
数学界における三大問題を全て独力で解き、世界の数学者を驚嘆させた。 ヨーロッパの数学者たちはその独創性に驚き、「オカ・キヨシ」を日本の若い数学者の集団ではないかと疑ったほどだったとか。
60年には文化勲章を受章し、『春宵(しゅんしょう)十話』という随筆集でも有名。

この人物、天才であるがゆえにか一般人にはなかなか理解できない奇行があることでも有名で、あまりにも変わったエピソードが多いので岡潔をモデルにした映画も出来たほど。

電話は俗物として家に置くのを嫌がり、スーツやネクタイは「交感神経をしめつける」という理由でいつもヨレヨレの着物を愛用。
夏でも長靴を履き、その長靴が暑いからというので冷蔵庫へ入れて冷やして履いたといいます。

アイディアが浮かぶと道端に座り込み、道に数式を書いてずっとその場を離れなかったり、突然誰もいない道で大演説をしたり、数々の奇行が伝説として残っています。

面白いですね〜。

そしてこの天才数学者が最後に残した言葉がこれ。

「まだ、したいことはいっぱいあるから死にたくない。しかし、しょせんだめだろうなあ。あしたの朝には命はないなあ。 計算ちごた」

天才数学者が最後に「計算ちごた」と残すあたりがなんとも粋でですね。

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スミレと松尾芭蕉

「山路来て 何やらゆかし すみれ草」 という松尾芭蕉の有名な俳句があります。

春の山道を登ってきて、ふと足元にひっそりと咲くすみれの花を見つけた。
そのささやかで可憐な様子に、ただ意味もなく無性に心惹かれたといった心情を詠んだ句です。

岡潔は数学の独創のために必要な美的感覚を磨くために、松尾芭蕉の研究に熱心に励んだといいます。

そんな中で、スミレの中に自分自身と重なる何かを見出したのではないでしょうか。

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生命の燃焼

岡潔は、文化勲章を受章した際に、天皇陛下に「数学とはどういう学問か」と訊かれ、「数学とは生命の燃焼です」と答えたそうです。

岡潔にとって数学とはそういうものだったのでしょう。
それだけ情熱をぶつけ、全身全霊をかけて取り組んでいた。

また、「私は人には表現法がひとつあればよいと思っている」と語っています。

岡潔にとって数学はその表現方法であり、目的は「生命の燃焼」だったのでしょう。

つまり、たまたま出会い興味を持ったのが数学だったから、それを自分の「生命の燃焼」の表現方法として選んだ。

仮にそれが「ダンス」だったら、きっと「ダンス」を通して「生命の燃焼」をしようとしたはずです。

最後に

岡潔は人から理解されようなどとはこれっぽっちも考えず、ただただ自分の情熱を数学にぶつけて生きた。

世のため人のために生きることを良しとする現代の風潮の中で、社会に迎合することなく、自分自身の情熱を貫いた岡潔の生き様に学ぶことはとても多いのではないでしょうか。 

意味を求めて苦しくなったり、外からの要求に応えてばかりいて苦しくなった時、いつの間にか自分の中にある情熱の花、喜びの花、といったみずみずしい感覚をないがしろにしてしまっていることがあります。

そんな時は「スミレはただスミレのように咲けば良い」というこの言葉を思い出して、ただシンプルに自分の内側から生きるという立ち位置に立ち戻ってみてはいかがでしょうか。


カテゴリ モチベーションコラム
 タグ  哲学

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