名著「論語と算盤」から学ぶ
〜お金が全てだぜ!と言い切れないなら

もちろん、お金より心の豊かさが大事だ……。
でも、現実はお金が無ければ何もできない……。

そんな風に、”お金”と”心の豊かさ”の狭間で、自分の置き所に悩んでいる人は結構多いはずです。

ある歌には「お金がすべてだぜと言い切れたならきっと迷いも失せる」(「Drifter/キリンジ」)なんて歌詞がありますが、ほとんどの人にとって「お金」か「心」かどちらかが全てだなんて言い切れるはずがありません。

でも、何となく二者択一を迫られているような気がしていて、その狭間で迷いながら生きている、というのが現状ではないでしょうか。

そんな人には、「論語(ろんご)と算盤(そろばん)」(渋沢栄一著)の教えがきっと参考になるでしょう。

ここでは、そのエッセンスをざっくりご紹介します。

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目次

論語と算盤とは?

日本で最初の銀行である第一国立銀行(現・みずほ銀行)をはじめ、生涯に約500の会社の設立・育成に関わり、日本実業界の父と呼ばれる渋沢栄一が、各地で演説した内容をまとめ一冊の本にしたのが『論語と算盤』。

道徳を「論語」、経済を「算盤」に例えて、その2つを一致させることが必要だと説いたもの。

この「道徳と経済を調和させる」という考え方こそ、渋沢栄一が生涯を通じて貫いた経営哲学です。 

ちなみに、「論語」とは中国の思想家である孔子(こうし)の言行録で「人はどう生きるべきか」「どのように振る舞うべきか」といったことを学ぼうとするときの古典ともいわれる書物。

渋沢栄一は、普段から「論語」を社会で生きていくための絶対の教えとして、常に自分の傍に置いていたといいます。

不誠実な行いであげた利益は永続しない

もともと資本主義とは、金持ちになりたいとか、利益を増やしたいという欲望をエンジンとして前に進んでいく面があります。

しかし、もちろん儲かれば何でも良いというわけではありません。
多くの人を犠牲にしてお金持ちになったとしても、そこに本当の意味での価値があるのでしょうか?

渋沢栄一も本書の中で言っています。

「どんな手段を使っても豊かになって地位を得られれば、それが成功だと信じている者すらいるが、わたしはこのような考え方を決して認めることができない。素晴らしい人格をもとに正義を行い、正しい人生の道を歩み、その結果手にした地位でなければ、完全な成功とは言えないのだ」

渋沢栄一は、「不誠実な振る舞い」や「自己の利益だけを追い求める行為」を否定し、「論語」の精神に基づいた正しい行動から得た成功でなければ成功とはいえないと言っています。

そして、そもそも不誠実な行為から得た利益は「決して永続するものではない」と警告しています。 

現実に立脚しない道徳を振りかざすべきではない

とはいえ一方で、社会正義のための道徳を頭でっかちに振りかざすことや、金銭をいやしむという風潮が極端に行われることにも警鐘を鳴らしています。

現実に立脚しない道徳は、人々から活力を奪い、国家も衰えて弱くなり、最後には国を滅亡させてしまうと言います。

実際に、中国では宋の時代にそうした事態に陥り、国が弱体化してモンゴルに攻め込まれてしまった歴史があるそうです。 

ちょうど良いあんばい

つまり、経済と道徳どちらか一方に偏るのは良くないということです。
だから、結局は経済と道徳とは調和するのが最善の道であるというわけです。 

本書には次のような記述もあります。

「利益を得ようとすることと、社会正義のための道徳にのっとるということは両者バランスよく並び立ってこそ、はじめて国家も健全に成長するようになる。個人もちょうどよいあんばいで富を築いていくのである」

この渋沢栄一の教えは、お金と心の豊かさの狭間で迷っている人に一つの答えを与えてくれていると思います。

どちらかを選ぶのではなく、バランスよくどちらも大切にしていくのだと。
ちょうど良いあんばいで豊かになっていくのだと。

ついつい、私たちは「どちらが善でどちらが悪か?」「どちらが正しいか?」といった一元論で物事を考えてしまいます。

しかし、この場合どちらに転んでも良くないというわけです。 

私たちの中に眠る「お金持ちになりたい」という欲望は時に暴走してしまう。
だからといって「お金は卑しいものだ」などといった極端な思想で欲望を完全に押さえつけようとすると元気を失ってしまう。

理性と欲望、ちょうど良いあんばいにコントロールしなくてはならないのです。

そして、これは「心の豊かさを大事にすること」と「お金を稼ぐこと」も同じです。
バランスを取らなければいけない。

ちなみに、渋沢栄一だけでなく、財政再建・農村復興などに尽力した二宮尊徳も同じようなことを言っています。

「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」
(二宮尊徳)

人格を磨くこと 

さて、本書の中には次のようなことも書いてあります。

「昔の学問と今の学問を比較すると、昔は心の学問ばかりだった。一方今は知識を身につけることばかりに力を注いでいる。 昔は読む本がどれも「自分の心を磨くこと」を説いていた。さらに自分を磨いたら、家族をまとめ、国をまとめ、天下を安定させる役割を担うという、人の踏むべき道の意味を教えたものだった」
「ただ学問のための学問をしている。はじめから「これだ」という目的がなく、何となく学問をした結果、実際に社会に出てから「自分は何のために学問してきたのだろう」というような疑問に襲われる青年が少なくない」

つまり渋沢栄一いわく、最近は「どう生きるか」といったベースとなる哲学を持たないまま、表面的な知識ばかり学んでいるから、実際に社会に出てから戸惑い迷ってしまう人が多い。

昔はその部分に重点を置いて学んだけれども、今はそこがないがしろにされている。

渋沢栄一自身は、その生きていくためのベースとなる哲学を「論語」に求めたわけですが、その点については次のような記述があります。

「さて、人格を磨くための方法や工夫は色々とある。仏教に信仰を求めるのもいいだろうし、キリスト教から信念を組みだすのも一つの方法だろう。この点わたしは青年時代から儒教に志してきた。その始祖にあたる孔子や孟子と言った思想家はわたしにとって生涯の師である」
「自分を磨くというのは、自分の心を耕し、成長させることだ。理想の人物や、立派な人間に近づけるよう少しずつ努力することを意味している」

確かに、私たちは「語学」や「数学」など、いわゆるスキルを学ぶ機会は多くありますが、「いかに生きるべきか」といった哲学のようなものを学ぶ機会や、人格を磨くといった機会はあまり多くありません。

まとめ

「論語と算盤」は現代に生きる私たちに大きな示唆を与えてくれる一冊です。
1916年に発行されたと言いますから、発行からすでに100年が経過しています。

しかしその本質は失われることなく私たちの心に響きます。
お金の哲学で迷った人はぜひ一読をおすすめします。
(ちなみに読みやすく現代語訳されていますから気軽に読めます)


カテゴリ モチベーションコラム
 タグ  お金哲学読書

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