不条理な世の中を生きる哲学

生きていれば、「そんなの不条理だ!!」と思わざるを得ないような出来事に遭遇することもあります。例えば次のような場面です。

こうした状況に出会うと、私たちは「世の中は不条理だ」などと感じてしまいます。 しかし、生きていればこうした出来事に巻き込まれることは避けては通れないでしょう。

したがって、「不条理」について考えておくことはきっと何かの役に立ちます。ここで少し深掘りしてみましょう。

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不条理の意味とは 

そもそも「不条理」とはどんな意味でしょうか? 辞書で調べると次のように書かれています。 

1 筋道が通らないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。
2 実存主義の用語。人生に何の意義も見いだせない人間存在の絶望的状況。カミュの不条理の哲学によって知られる。
(出典:デジタル大辞泉)

前者は、自分にとって道理に合わない状況に置かれた時に感じるもの。 後者は、哲学的に人生全体に対して感じるもの、という感じでしょうか。 

ちなみに、不条理の哲学を打ち立てたアルベール・カミュは、不条理を理想との間に生じる対立、葛藤、分裂であるとしました。 

世の中は不条理か? 

さて、世の中は不条理でしょうか?

人生は思った通りにはいかないし、頑張りが必ず報われる訳でもありません。生まれながらにして不幸だったり、事故や病気に見舞われることだってあります。そう考えれば、世の中は不条理だと言えるかもしれません。

産まれたばかりの子供が事故に巻き込まれて亡くなったというニュースを聞いた時などは、「世の中は不条理だな……」と思わざるを得ません。

しかし、もちろん報われる努力もたくさんありますし、ほとんどの成功者は誰よりも努力しています。また、ほとんどの病気やトラブルも、たいてい何らかの原因があるものです。

つまり、世の中には不条理なこともあるけれど、全てがそうというわけではない……ということです。

不条理に飲み込まれるとやる気がなくなる

確かに世の中には不条理な部分もあるけれど、それで「世の中は不条理だ」と断定してしまうと問題が生じます。

……それは何事に対してもやる気が出なくなるということです。

私たちが努力するのは、それがきっと報われると信じるからです。世の中の不条理に注目していると、そうした努力も全て無駄だと感じるようになってしまいます。

変えられることと変えられないこと 

世の中には、自分の努力次第で変えられることと、いくら努力しても絶対に変えられないことがあります。結局、変えられる可能性のあるものは変える努力を、そして変えられないものは素直に受け入れていくしかありません。 

例えば次のようなことは決して変えることができません。 それに抗っても自分が苦しむだけです。

逆にいくらでも変えられることもあります。 

不条理に苦しむのは、努力しても変えられないことに抗おうとするからです。たとえ不条理を感じても、それを受け入れて、自分が努力できる部分に全力を尽くしていく ── きっと私たちにできることはそれしかありません。

不条理を受け入れる

考えてみれば、人間は自然界の法則に逆らうことができません。大自然の前で人間は無力ですし、「死」や「老い」から逃れることもできません。

つまり、人間はより大きな世界の一部であり、世界は人間中心に、人間にとって都合良く回っているわけではないのです。人間にとって不条理なことであっても、もっと大きな世界から見たら流れの中の一つに過ぎないわけです。

もしかしたら、世の中を不条理だと感じること自体、人間の傲慢(ごうまん)さが生み出しているのかもしれません。世の中が不条理だと感じる背景には、人間中心主義、自分中心主義が潜んでいるからです。

太古の人たちがそうであったように、抗いようのない出来事に対してもっと謙虚な気持ちを持っていれば、不条理に苦しむこともないのかもしれません……。

まとめ

生きていく上では、誰もが不条理を感じることもあります。 でも、それに負けると人生楽しく無くなってしまいます。 たとえ不条理を感じたとしても、人間はその中で精一杯生きていくことしかできないのです。

生きることは、あきらめないことである。
(カミュ)

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ニーバーの祈り困難に直面して立ち止まった時、先に進めなくなった時、その状況を受け入れて勇気を持って一歩を踏み出す、そんな覚悟をもたらしてくれる言葉です。

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