「退屈」は「無能」の証
モチベーションアップの法則

「退屈」は「無能」の証なんだとか!?

「退屈」は「無能」の証。
これは、「自分のための人生/ウエイン・W・ダイアー」という本の中に登場する一節です。

刺激的な一節ですが、これは確かにその通りだと言わざるを得ません。
退屈はその人に原因があるのであって、決して状況がその人を退屈にさせているわけではないというわけです。 

人は退屈を環境のせいにしがちです。
「この仕事は本当に私を退屈させる」「毎日同じことの繰り返しばかりで本当に退屈だ」といった具合です。 

しかし、本当はその人が、物事の退屈な側面ばかりに気を取られているだけかもしれません。同じ状況に置かれていても、情熱を持って行動している人はいるはずです。退屈な側面に着目すれば、あらゆる物事が退屈なものになってしまうのは当然のことです。

また、もし実際にその環境が退屈なら、そこを離れて新しい世界に飛び込むことだってできるはずです。

でも、それをしていないということは、何か新しいことにチャレンジするのか、何もせずその場にとどまるかの二者択一で何もしない方を選んだということですから、やっぱり退屈なのは当然だと言うことができるでしょう (刺激的だけど不安定な未来より、退屈だけど安定した現状を選んだということ)。 

自分が招いた退屈を自分以外のもののせいにして、そこに甘んじている人のことをダイアーは無能だと言っているのでしょう。 

まぁ、「無能」だと言い切ってしまうのは少し言い過ぎかもしれませんが、「退屈」は自分次第でなんとでもなることは事実です。

もし、退屈な毎日に飽き飽きしているのなら、これまでのやり方を変えましょう。
つまらない常識のとらわれて窮屈なら、思い切って飛び出せば良いだけです。
人生に刺激をもたらしましょう。 ただ待っていてもワクワクするような毎日は向こうからはやって来ません。
人生を刺激的で面白いものにするか、退屈なものにするのかは、自らの選択にかかっています。

退屈を打破する2つの道

退屈を打破する道は2つしかありません。視点を変えるか、環境を変えるかのいずれかです。

もし、退屈な映画を見ているのだとしたら、その映画を楽しむクリエイティブな方法を見出すか、最後まで見なくてはいけないという常識を捨て、すぐに映画館を飛び出せば良いわけです。 何も「退屈だ」と言いながらそこに居続けなくても良いのです。

これは、映画だけでなく、人生でも、仕事でも、人付き合いでも、全てにおいて共通です。

視点を変えるとは?

退屈とはほぼ無縁だろうと思えるような明るくエネルギッシュな人は、物事の退屈な側面になど全く興味を持ちません。
常に物事の明るくポジティブな面に注目しています。

彼らは常によりエネルギーが出る方向に意識を向ける能力に長けています。
退屈さを乗り越えるためには、彼らと同じように考え行動すれば良いのです。真似してみましょう。いつの間にか自分のものになっているはずです。

環境を変えるとは?

環境を変えるというのは、転職をする、引越しをする、付き合う人を変える、といった物理的なことがひとつ。
もう一つは、何かこれまでとは違う新しいことを始めるということです。気になっていたダンスを習い始めるといったことです。

どちらもこれまでと違う環境に身を投じるということですから、当然リスクもあるでしょう。
ただし、退屈を越えるためには必要なことです。これまでいた安全地帯を出なくては退屈は打破できません。
失敗を恐れずにチャレンジしてみましょう。

最後に

人生は長いですから、誰にでも退屈だと感じる局面はやってくるでしょう。
その時、そこに長くとどまる人もいれば、自分の力で退屈を打破して新たな挑戦を始める人もいます。
そのことからも、退屈は実はその人が自分で選んでいるのだということがわかるはずです。

退屈を選ぶ人はリスクを恐れます。結局、我々は常に「リスク」か「退屈」かどちらかの選択を迫られているのかもしれません。
「退屈」だと感じるなら「リスク」を取りましょう。きっと、そこには人生のスパイスが隠されているでしょう。

このサイトは、生き方・働き方を模索する人のためのWEBマガジンです。運営者は原宿に住むコーチ&カウンセラー兼ライター。月間500万pv。ほぼ1日1記事更新してますmore→

フォロー
Facebookページ:@motivationupcom
Twitter:@motivationupcom
メールマガジン:サンプル&登録