奥の細道
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奥の細道(おくのほそ道)【ざっくり3分で解説】

『奥の細道(おくのほそ道)』とは、江戸時代の俳人・松尾芭蕉(まつおばしょう)が、門人曽良(そら)を伴って江戸の深川を出発し、東北〜北陸を経て美濃(岐阜県)の大垣に至るまで約6ヶ月の旅の記録をまとめた紀行文。

作品中には多数の俳句が詠み込まれていて、「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」などが非常に有名です。

日本の古典における代表的な作品のひとつとして人気があり、短い文章の中に綴られた深遠な世界観に人々は魅了されてきました。

松尾芭蕉はそれまで言葉遊びが中心だった俳句の中に「心の世界」を取り込み、芸術性の高い文学にまで高めました。
それは、奥深い世界を表現する新境地であり、「奥の細道」はそれを実践し表現するための旅でもあったわけです。

「奥の細道」は、有名な序文で始まります。

「月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり」
(現代語訳:「月日は永遠の旅人のようなものであり、過ぎゆく年もまた旅人のようなものである」)

冒頭で「人生は旅である」という芭蕉の人生観を掲げているのです。

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奥の細道で代表的な俳句

「奥の細道」の中でもとりわけ有名な句を2つ紹介します。

夏草や 兵どもが 夢の跡

江戸を出発しておよそ1ヵ月半。芭蕉は平泉の高館(たかだち)に立ち、かつてここで武士たちが大義のもとに立て篭もり主君義経を死守したことに思いを馳せます。しかし、今やその戦場もただの草むらと化している。

そして一句詠みます。

「夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡」 ──

ここはかつて、義経や藤原一族が栄華を夢見たところだけれども、今はただ夏草が深く生い茂っている。 儚く消えた兵どものことを思うと哀れに感じる、といった意味です。

閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声

人に勧められるまま立ち寄った山形の立石寺では、山上の堂に登るとそこは静まり返っており、その中でひたすら心が澄みゆくのを感じます。

そしてここでも一句詠みます。

「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」 ──

夕暮れの山寺で感じた静寂は、うるさいはずの蝉の声をも岩にしみ入ってしまうほど深いものだ。 現実の世界とは別次元の宇宙観のようなものをそこに感じているようです。

行き着いた境地

旅の中で、自然の美しさや人の営みだけでなく、時の無常さや古人の心に触れ、芭蕉の句はさらに深みを増していきます。 そして、旅を通して芭蕉が行き着いた境地が「軽み」と言われるもの。 気負いや私心を捨て、平凡な庶民の日常のさりげない世界の中に深みを見出していく手法のことです。

また、芭蕉がこの旅において、「不易流行(ふえきりゅうこう)」という俳風の新しい展開を考案したことも忘れることはできません。意味としては「いつまでも変わらない本質的なものの中にも新しい変化を取り入れていく」といった意味です。

芭蕉が旅から戻ったのは1689年の9月。原稿ができたのはその3年後。完成したのはさらに2年後の1694年初夏のことでした。ここに、旅から帰った後も作品の完成度を高めるべく手を加え続けた芭蕉の熱意が感じ取れます。

そして、作品が完成したその年の10月に芭蕉は51年の生涯を閉じます。
絶世の句は、

「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」

最後まで「旅の人」でした ── 。

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